障害競走
障害競走(しょうがいきょうそう)は競馬の競走の一種であり、コースに設置された障害物を飛越しながらゴールに到達する早さを競うものである。
日本では居留地競馬の時代に障害競走が行われており、1862年(文久2年)の『The Japan Herald』掲載の競走番組表に施行予定競走のひとつとして記載されているものが障害競走に関する最古の記録である。また、祭典競馬としても行われており、1887年の5月6日に靖国神社で施行されたという記録がある。距離は500間(909m)の馬場を1周というものだった。
公認競馬の開始後は1908年に北海道競馬会が新設した子取川競馬場において障害競走を創始した。同年春季に行われた最初の競走は距離1マイルで争われ、友成玉之助氏所有のキンツルが122秒で優勝した。これは平地競走の走路に小規模な置障害を設置して行われるものであり、競走距離は1ml、1ml1/8の2種類、つまり1600m~1800mで行われ、800m~1800mで行われた当時の平地競走とほぼ同条件であった。その後1915年の東京競馬場において日本で初めて障害専用走路を利用した障害競走が行われた。これは馬政局が馬匹改良計画の一環として、東京競馬倶楽部に補助金を与えて構築したものである。
1923年に競馬法が実施された後に、それまで障害競走を実施していなかった競馬倶楽部でも次第に障害競走を行うようになった。当時は施行数が少なく競走距離は2000m前後で行われ、また障害飛越数が3回以下の競走もあるという低レベルな状況であったため、陸軍は良質な軍馬生産のため競走数の増加、競走距離の延長、また高さ120cmの固定障害や置障害を使用するなどの障害競走の高度化を指示した。
1924年に目黒競馬場で障害の高さ、幅を変更した際に、騎手の拒否により春季開催での障害競走がすべて不成立になるといった混乱も見られたが、競走数は大幅に増加を辿り、1924年には全国で平地競走552回に対し僅か34回であったものが、6年後の1930年には平地競走1049に対して276の競走が施行された。そして1934年には中山に坂路と大規模な障害を備えた馬場が完成し、現在まで続く中山大障害の創設がなされた。